第弐記 再生!自在代役
過ぎし日の幸せのモニュメント、「卓袱台」
家庭における家族揃っての食事の有無が、子供の非行発生と密接に関連しているのではないか、という指摘が世にあがって久しい。その、家族揃っての食事、即ち「一家団欒」とも言い換えられるイメージに最も適合するのが、かつてよく見られた、あの丈低い卓袱台を囲む風景ではなかろうか。
洋間ではなく和室、しかも畳上にある、質素ながらも温かい一家の姿―。しかし、そんな過去の幻影が優先して立ち上がってくる事こそ、正に現代社会における家庭の空洞化を示しているとも言えよう。
卓袱台の起源 古き良き日本人世帯の象徴ともいえるこの卓袱台。実はその歴史は、さほど深いものではなく、精々ここ100年程という。名称自体は江戸期から存在したが、折脚式の今見る形として一般化したのは明治後年以後の事らしい。
「卓袱」の名は、元は漢語の食卓布を意味する語であったが、やがて食卓そのものを指すようになった。ある種きてれつな感を受ける「ちゃぶ」の読みは、その近世漢音を写したものである。
卓袱台が普及するまでの一般家庭の食事は主に箱膳が用いられていた。箱膳とは一人分の食器が収納出来る箱型の膳の事で、食事をする際は専用の台となった。即ち、会食といえども銘々が別の卓(膳)に着いたのである。
この、卓を分かつ食様式は、前代の家父長制、つまり「身分社会」の影響がある事が指摘されている。会食は組織の結束を強めるものとして古代から認識されていた重要な場である。その「場」における身分規律の保持を意図したのが、分卓の思想だったのかもしれない。
新秩序の象徴卓袱台の普及、そして衰微 箱膳が象徴する前近代に代わり、欧化・平等の新時世、明治が始まった。新しい思想に適った卓袱台はその進展と共に、国の隅々に広がっていった。恰も都市から山間へ浸潤する開花線のように―。正にそれは、国家の末端たる家内に達した新秩序の開花(開化)であった。卓袱台は長く不変であった食住の様式を変え、人間解放と個人幸福追求に対する希望の戸を開いた。
しかし、戦後民主主義に順風を得たそれも、やがて更なる環境変化に押され、変質・衰微することとなる。住居洋化の進行、核家族化、長時通勤、校外教育の常態化、そして孤食増大……。
胸内に漂い続ける懐かしい卓袱台の幻影は、どこか幸せをオーバーランしてしまった我々現代人の、夢のモニュメントなのかもしれない。
瓦礫での出会い、そして再生へ
現在、我が家にある食卓は、折脚式ではない所謂座卓である。卓袱台には円か方形かという形状の定義は無いようだが、「折脚式である」という事が、凡その条件となっているようである。
それは、部屋の用途を限定しない和式居住文化の伝統に則り、状況により収納可能な事が重要な為である。よって我が家には卓袱台はない。しかし、最近偶然にも一台を手に入れる事となった。イベント資材調達の為に行った解体現場より譲り受けたのである。
現場の瓦礫上に投げ置かれたそれは、殆どゴミ同然の姿であった。朱く厚塗りされた天板塗装は大きく剥げ、脚梁の片側も破断していた。元より小品でもあった為、責任者に了承を得る以前に所望の気も発しなかった。しかし、何気に手にとってそれを見た時、気は変わった。黒く塗りつぶされた天板裏面に、継ぎのない美しい木目が見えたからである。なんと、天板には薄いながらも欅か栓の一枚板が使われていた。更に、脚回りを含む全てが、同材で統一されている事も判明した。
私はその日の内にでも焼却炉に向かう予定であったこの小卓を譲り受け、再生させる事にした。
先ずは脚梁の修繕 こうして我が家にも卓袱台が来た訳だが、脚梁の折れを処置しなくては、取り敢えず使う事も出来ない。よって、先ずはここから直す事にした。脚は脚梁の両端にホゾ組みされていて、「コの字」を成している。これがもう一組あり、それぞれ天板裏左右に取り付けられて自立と折畳みを実現させている。その梁の一つが折れているので、片側2脚が立たないのである。
先ずは、脚部のヒンジ兼用取付け釘を抜き、折れた「コの字」を取り外した。脚梁は2脚の荷重がかかる重要な部分の為、単純に接着するだけでは心許ない。よって、芯として木の丸棒を入れる事とした。梁厚自体があまりないので、その径は3ミリ程である。同径のドリルで梁の接着面両方に深さ2センチ程の穴を上下2箇所開け、長さ4センチ程の丸棒をそれぞれ挿入して接着した。接着に用いたのは木工用接着材である。耐久性に関わるので、丸棒と穴の中にもしっかりと塗布した。
そして、接着面を覆うように両側から板を当て、面がズレないようにバイスで固定し、更に面自体を加圧する為、梁端をロープ緊縛して数日放置した。 こうして脚梁は確かに固定されたが、継ぎ目が生じてしまった。下部なので目立ちにくいと言えばそれまでだが、物を受け負う卓の根本部分にあたるので、心理的にどこか心許ない。よって、化粧を施す事とした。
新漆の使用 使用したのは新漆である。普通の漆とは違い、有機溶剤で希釈出来、かぶれ難い、乾燥ムロが不要といった特徴を持つ、扱い易いものである。それでいて漆科の植物を原料としている為、仕上りや乾燥後の耐久性が本漆に近い。数社から類似品が出ているが、今回使用したのは「ふぐ印」のものである。伝統的茶碗修繕法「金継ぎ」にも繁用されている定評あるもので、自身の経験・見聞からも、仕上りや耐久性、安全性が優れているのではないか、と感じている品である。
この新漆を継ぎ目に塗り込んだ。下地色に合わせ、用いたのは黒色のものである。乾燥に2、3日かかる為、厚塗りは出来ない。溶剤でウスターソース程に希釈して筆で塗った。欠けや隙間が大きい所は、穴開けで出た木屑を混ぜてパテを作り、充填した。塗りと乾燥を何度か繰返して継ぎ目が目立たなくなった時に、色合せの為、広く継ぎ目周辺にも塗布した。その際、艶消し感を出し、元の部分とも馴染ませる為に筆を何度も往復させてかすれ塗りする「拭き漆」の技法を用いた。
天板塗装の剥離 脚部の修繕が終り、取り敢えず使用出来るようになったが、天板には大きな塗装割れがあり木地が見えている。このまま使えば水気により染みや傷みが生じるであろう。思えば、天板全面には折角の木目美を絞めるような厚塗りが施されている。そしてその色も漆器に似せた無粋で安っぽい朱(あか)一色である。恐らくは、素人によって上塗りされたもののようである。そこで、木目と一枚板の価値を生かす為、塗膜を剥がす事とした。
先ずは厚塗りをスクレイパーやカッターを使用して剥がした。スクレイパーは鉄板焼のヘラに似た剥離工具である。ホームセンター等で売っているが、今回は以前100円店で購入した、刃先が鋭く食い込みがよいものを使用した。
こうして、表面の厚塗り塗膜は元々浮き気味だった事も手伝って、比較的容易に剥がす事が出来た。しかし、その下にあった暗色の下塗りが一部頑強に残った為、100番程の荒目サンドペーパー等を使用して削り落した。塗膜がほぼ取れた後は、300番程のペーパーを使って全面を均一に整えた。その後はワイヤーブラシで全面を擦り、木目に入った塗膜取りと、木目の浮きだし(うづくり技法)を行った。そしてナイロンブラシと、乾拭きによって塵を落とし、下地調整を終えた。
再塗装 剥離によって天板生地全容が現れたが、やはり睨んだ通り、その姿は秀逸であった。そして、それを生かし、かつ保護する為に再塗装する事とした。使用したのは例の新漆である。今回は、再塗装の趣旨に適うよう、その中でも「透(すき)漆」を用いる事とした。「透」といっても所謂透明ではなく、下地が透ける褐色をしており、伝統家具によく使用される色目である。
本職なら塗装前に砥の粉等を用いて更に下地調整するようだが、省略してすぐ塗りに入った。平筆で全体に薄く2度程塗り、2、3日乾燥させてまた繰り返す方法は、脚梁の時と同じである。ただ、天板は卓の「顔」ともいえる場所なので、仕上りの良さを考慮して乾燥毎にペーパーがけを施した。
最初は300番程のサンドタイプを使用し、完成間近に1000番以上の耐水タイプを使用した。ペーパーを平板に巻き、平滑具合を確認しつつ行った。ポイントは、仕上りに影響する平筆の質に注意する事と、ペーパーをかけすぎない事である。筆は馬毛以上の品で、かつ幅広のものを使うのが望ましい。ただ、今回のような小品なら、幅はさほど気にしなくてもいいだろう。
以上の工程を10回程重ねて塗りを完了した。更に回を重ねると、一層仕上りの向上が期待出来るが、この辺りまでにしておく。大した作業だったようだが、実際はさほどでもない。慣れれば、塗り・研磨共に10分程で済む。朝夕の一時毎に充分行える程である。
仕上げの研磨 最後は磨きである。古布に液状研磨剤をつけて根気よく行う。そして滑らかな触感が得られたら、乾拭きに切り替える。使うのは同じく古布で結構だが、脱脂綿があれば更によい。
尚、古布は、洗いくたびれたシーツ等の薄物が使い易い。雑巾には不向きなので捨てられがちだが、繊細な作業で重宝するので、とっておきたい。そして、表面にガラス光沢が出れば完了である。木目に入り込んだ研磨剤は、古歯ブラシを使用して除去した。
再生!自在代役 艶やかに再生された卓袱台天板には、麗しい肌理(きり)が浮かび上がった。小品ながら、職工の眼に選ばれた紛れなき一枚板のその姿からは、凄みさえ感じる。ざっと年輪計算すると、その齢およそ100歳弱。作られてから50年程と仮定すると、計150年程となる。実に、人類60億の誰より長い年月を生きているのである。この様な稀品が、焼却寸前のゴミにされていたとは真に理解し難い。
しかし、思えばこの卓袱台に限らず、良質な家具や古建材の多くが、日々同様の憂き目に遭っている。瓦礫から生還した卓袱台は、無言でこの不条理を訴えているようである。
仕上がった卓袱台は、その小身を生かして様々に活用される事となった。食卓の補助や、喫茶等々である。意外だった使い道は、正月の飾り台や、宴中に寝てしまった人を気遣い、急遽隣室に設けた酒席用である。その他、肌理の存在感を生かして脚を畳んで花台にしたり、好天や月見どきに縁上で酒茶の伴にするのも一興であろう。何れも、収納至便・移動自在の質故の幅広い使い道である。
正に、優れた「代役」とでも言うべきか。無論、木肌のそれが、古家のどこに置かれようとも馴染む事は、想像の通りである。
家庭や文化、資源に関する浅からぬ問題も示してくれた卓袱台だが、茶器など並べると、やはり理屈抜きで楽しいものがある。そんな様を見ていると、何かしら客を待ち侘ぶ心地が生じてくる。器並ぶ飲食の舞台は、人間交流の中心である。卓袱台は、まだその求心力を失ってはいない。