第伍記 快適!初夏支度
終らぬ戦い「蚊害攻防史」
波板の付け軒に、繁(しげ)く雨音を聞く頃となった。春雨における柔らかなそれとは異なり、高く、かつ大きく響いて、時に雨滴共々外界との障蔽をなす。過剰なまでの様は、やがて来る渇きの酷暑への「先払い」であろうか。とまれ、愈々の入梅である。湿嫌う身にとっては好ましい期ではないが、これも肝要・欠かせぬ夏の支度であるには違いない。
この時期、湿暑とならんで気になり始めるものに、害虫の増加がある。害虫といっても実に様々あるが、被害頻度の多さからその筆頭は「蚊」であるといえよう。古今東西あらゆる人々を悩まし続けたこの蚊の害。現代でこそ、下水整備や薬剤・機器等の発展に助けられる様になったが、それらがなかった古には一体どの様な対策が採られていたのであろうか。
意外に新しい「除虫菊」と「網戸」の歴史 蚊への対策は主に「殺虫」と「物理的防備」の2法が挙げられる。しかし薬剤に頼る「殺虫」の歴史は意外と浅く、19世紀に於ける除虫菊の発見・使用が最初という。
除虫菊といえば、かの「蚊取線香」が思い出されるが、これも結局19世紀までしか遡れない事になる。因みに除虫菊は東欧のバルカンで発見され、明治中頃アメリカ経由で我が国に伝えられた。極めて日本的な印象を与える蚊取線香は、形状考案以外は海外由来だったのである。
「物理的防備」には家内と外を隔離する「網戸」の使用があるが、これも除虫菊と同じ頃にアメリカで普及し始めたので大した歴史はない。気密に劣り、その効果があまり望めない家屋が多かった日本では更に下って、高度成長期以後の事となる。網戸以前は、西洋ではカーテンがその役割を果していたという。気密性の高い家屋構造故、ある程度の効果はあったようである。
かつては貴人専用。懐かしい伝統品「蚊帳」 日本では家内全体の隔離を諦め、居所や寝床のみを防御する「蚊帳(かや。蚊屋)」が用いられた。蚊帳は知っての通り部屋内に吊るし張る網状の織物で、高度成長期頃まで盛んに用いられた夏の必需品であった。網戸登場以前、局所的ではあるが蚊よりの完禦を実現したこの蚊帳。その歴史はかなり古い。
蚊帳を記した最初の記録は、我が国最古(8世紀前半頃)の地誌『播磨国風土記』(飾磨郡条)にある、応神天皇が行幸先で用いたとの記事である。また、同書と成立期が近い現存最古の正史『日本書紀』(巻10応神天皇41年条)には、大陸の「呉」から「蚊屋衣縫(かやのきぬぬい)」なる工女が渡来した記事も見える。
しかし文字記録の実施が疑わしい、内容年の4世紀前後を蚊帳実在の最古とはし難いので、両書成立の8世紀前半が確実といえよう。何れにせよ大陸よりの渡来品で、かの地にはそれ以前から存在したようである。
蚊帳の形状を確認出来るものには、『春日権現験記絵』(第7巻第2段。14世紀初頭)での描写があるが、殿舎内の尼僧の寝床を覆う形でそれが見える。近くの侍女らに使用は見られないが、それはこの頃の蚊帳が主に絹で製されており、貴人以外の使用が難しかった為とみられる。
公家や武家の贈答品として機能したともいい、一般での使用が叶うには、近江産の木綿や麻製が登場する近世以降を待たなければならなかった。ひょっとすると、それまでは簾がその代りを担ったのかもしれない。完禦とまでは言えないが、ある程度の効果はあった筈である。前絵巻にも侍女らを守るそれが薄く描かれている。
庶民の暮し、そして広く世界で行われた「蚊遣火」 結局の処、蚊帳一般化以前に於ける庶民の対策主流は「蚊遣り火」だったようである。それは青葉等の、煙を多く出すものを焚いて蚊を払う方法で、殺虫でも物理遮断でもないが、8世紀後半成立の『万葉集』(巻第11[2649番])にも記載される歴史あるものであった。
記載の「蚊火」を獣除けである「鹿火」の当て字とする説もあるが、軽便な方法で、古くから世界各地に同様が見られるので、太古から行われていたとみてもよさそうである。蚊遣り火には、古布芯の藁束等に点火して腰に下げる屋外作業用もあり、地方では近年まで使用されたという。まさに「携帯型蚊取(蚊遣り)線香」の祖とも見做せよう。
古に於ける蚊への対策を概観してみたが、何れも簡素なものであった。そこより見ると、諸具溢れる今の世は些か過剰なようにも感じられる。しかし、それでも蚊は盛んに在り、攻防は終らない。それ許かりか、交通の国際化により病原媒介蚊の移動といった新たな問題も発生している。来るべき全球化の時代。人はまた如何なる策を創出するのであろうか。
蚊害多き古家の性(さが)。自作による対処
マンションやアパート等の高層住居に比して、地面(水場)に近い古家は格段に蚊の害を受け易い。そして、その期が早く始まり、遅くまで続くのも特色である。昭和初期の下水を暗渠化して久しい我が古家に於いても例外ではない。側溝の蓋穴がある玄関前は無論、水場の露出がない庭に於いても、その害は止むことを知らない。人一倍それに遭い易く、痒みで睡眠を断たれるほど反応過敏な私にとっては、好ましい状況ではなかった。
しかし、21世紀の今に至るまで根絶されなかった、その解消を図るは無意味である。それより問題であったのは、入居当初、居室の窓に網戸が無かった事である。改装により欄間等が塞がれている我が家に於いては、網戸があれば洋間と違わぬ防御性が期待出来たが、アルミ戸への改変を受けない木枠であった為か、それが見当たらなかった。
これでは蚊は疎か、その他の害獣虫の進入も許すこととなり、甚だ不便な状況となる。木製網戸をオーダーする手もあったが、一枚あたり数万円の費用がかかるという。よって、本格的な害虫シーズンが来る前に相当品の自作を試みることにした。
良品廃材「障子」を利用した代用網戸づくり 自作といっても、大きな京間寸のそれを一から組むことは難儀である。よって何か既存の物を利用する手を考えた。思い付いたのが古障子の利用である。気密性に劣り、貼替えの手間も掛かる障子は昨今改築や改装時に廃棄されることが多い。これを入手出来れば、費用も掛からず優秀堅牢な下枠を得られる。早速、建築関係の知人らに出物発生時の通知を依頼した。良品が都合よく出るとは限らないので破損品でも構わない旨も告げたのである。
程なくして、懇意の建築家森田一弥氏より一組のそれを譲り受けた。無垢の良材で成された素晴らしい品で、市内旧家の茶室に使われていたものだという。当然解体出物の為、廃棄予定であったが、その価値を惜しんだ氏が取り分けておいたものである。しかし、京町家の殆どが採用する京間寸とは違う規格であった為、日の目を見ることがなかったらしい。
とまれ、有難いことに思いも寄らぬ良質の主材を入手することが出来た。京間である我が家との調整の課題も生じたが、主材が手に入れば成功は見えたも同然と喜んだのである。
あと重要なのが下枠に貼(張)る網であるが、これは当初市販の樹脂網を両面テープで貼る予定でいた。しかし接着面積が少なく油気ある樹脂網をテープで貼るのは難儀である。よって「レース障子」を採用することにした。レース障子とは、障子紙の代りに両面テープで編地(レース)を貼るものである。元来防虫用途ではなく、堅牢・通気・採光性能の向上を意図した製品であるが、目の細かさが用途に適うので試すことにした。
物はテープとセットになってスーパー等で入手することが出来る。価格は2枚組3000円前後からだが、今回はネットオークションで安価な新古品を入手出来た。障子用といっても風合に差はないので、柄に問題なければ手持のカーテンレースを利用すれば更に安くつくだろう。その場合、障子用テープはホームセンター等で購入出来る(400円前後)。
最初にして最大の難関「古紙剥離」。そしてレース貼り 作業開始はレース貼りからである。しかし、その前に古い障子紙の剥離作業があった。慣れていないせいか、実はこれが今回の作業中最大の難所となった。庭に出して水をかけ、暫く置いてこそぐのだが、これが中々落ちない。たわしやヘラ等を総動員して漸く処理した。面倒だが、紙や糊が残るとテープのつきが悪くなるので手は抜き難い。
そして、処理後は言うまでもなく、暫く放置してよく乾燥させた。庭側と表側の2処に使用する為、2枚の下枠共に作業を施した。
乾燥後、漸くレース貼りとなる。大まかにいうと、下枠へテープを貼ったあと、そこにレースを圧着し、余分をカッターで切り取って仕上げる。詳しくは製品説明書を参照願いたい。「テープは最初縦方向の外枠に貼り、次に横方向の外枠と桟、そして縦方向の桟の順に貼る」、「レースは初め中央十字の桟に強く圧着し、軽く外側に引っ張りつつ外枠、そして他の桟に圧着して皺なく仕上げる」、「切取りには金尺を当てる」等が上手く仕上げるコツであろうか。
一見面倒な工程に感じるが、紙貼りよりかは簡単で時間もかからない。
「鴨居」と「敷居」の調整と準備 網になるレースが貼れれば本来なら完成であるが、下枠の寸法規格が家と異なる為、調整が必要となる。幸い調整は寸足らずの為、材の付足しとなった。森田氏によると、建具の調整は「減ずる」より「足す」方が格段に行い易いという。なるほど、道理であろう。大きな建具に鉋や鋸を逐一入れて調整するのは難儀である。「幸い」としたのはその為である。
建具の調整に先立って行うべきことに、それを受ける上溝の「鴨居」と、下溝の「敷居」の準備があった。知っての通り網戸を入れるには、今ある鴨居と敷居の外側にもそれが必要となってくる。幸い、設置場所である表側と庭側の窓には共に雨戸用に使われたとみられる鴨居が残っていた。
しかし、敷居は共に撤去されていたので、開閉式の網戸を成すことが出来ない不便な状態となっていた。よって、処置することにしたのである。
方法は、檜の薄板2枚を溝幅に並べて床上に貼り、その間に建具用滑性テープを仕込んだ。これなら簡便で、原状回復も叶う。貼付けには、耐候性があり糊残留性も少ない障子用テープの残りを利用した。薄板は数十円のものを数本、滑性テープは数百円のものを一つホームセンターで購入。風の力が心配な場所であれば、小釘かネジを使用してもいいだろう。
なお、庭側の鴨居のみ何故か低い位置に付いていたので適所に直した。固く締まった古釘と、上に積もった数十年の鼠糞や塵芥に苦戦させられたが、なんとかやり遂げた。
建具の寸法調整 下枠の付足しには手持の合板を利用した。鋸で縦切りするのが面倒であったが、これで高さが足りない分を補う。板が鴨居の溝より薄いので上部に角棒をネジ留めして厚みを稼いだ。これを下枠の上にL字金具3個でネジ留めする。
L字金具はホームセンターにて1個数十円で購入。地金だった金具は錆止めも兼ね手持の水性黒色塗料にて着色した。また金具側の対面、即ち屋内側にも削り出した木片を左右にネジ留めし、補強と側面の塞ぎを施した。
付足し後、下枠が家に付けられるようになったが、少々幅が足りない。また既存のガラス戸との間にも大きな空隙が生じた。これを簡便かつ一挙に解決する為に市販の隙間テープ等を用いた。エアコン等の隙間塞ぎに使用されているフラップ(飛行翼)状の物などである。しかし、フラップ型のものは何故か電気店でも取り扱われていなかった。漸く探し当てたのは意外にも百円ショップに於いてである。
とまれ、これらを複数側面に貼り付け、空隙を完封した。なお、壁側にもスポンジ製戸当りテープを貼り、幅を稼いだ。あまりスマートな施策ではないが、取り敢えずはこれで済まし、将来改善を図ることにする。
仕上げの建て付け調整。そして良品に関わる人々への「礼」 これで物としては完成したが全体の調整が残っている。取り敢えず機能するようにはなったが、溝上を動かした時、各部に引っ掛かりが生じる為である。これは、水平を保ち難い木造古屋の特質故のことなので致し方ない。動かしてみると、やはり各部で引っ掛かりが出たので、付足し板を外して鉋がけを行ったり、木片やフラップを削る等して調整した。 そして最後に、屋外側外枠左右の程よい位置に、引手となる角棒を障子用テープにて貼り付け完工した。
話が前後するが、今回は施工に於ける方針に「極力下枠障子に傷を付けない」、というものを加えていた。それは、優良稀少なそれを再利用しながら保存し、出来れば次代にまで伝えたいという意思の為である。それ故、使用したネジは極力短小のものを選び、その数も最小限にした。将来、またオリジナルに近い状態に戻せることを図ったのである。
少々大袈裟なようにもみえるが、それが、これを仲介してくれた各位や、元の発注者、そして作り手に対する私なりの「礼」であった。
完了!初夏支度 では、出来たレース枠の効力を見てみよう。隙ないそれに害虫が入ることはない。正に網戸同等の完禦ぶりである。また、通風や採光にも不足なく、表側と庭側、即ち京町家伝統の「続き間」南北に施されたそこから風がゆき抜けた。更にフラップ等の設置に工夫したので、「開き戸」の左右どちら側にでも使用出来る。これなぞはアルミ網戸を超す機能であろう。
また、水に強いため清掃し易く、軽量・脱着可能なので台風の際にも安心である。そして何より、逸品を利用したその姿は無機的な網戸を凌駕する趣と美しさがあった。コストと扱い難さが増すが、通気性の高い土佐和紙等を使うと更に風情が増して面白いかもしれない。
こうして、我が家に網戸ならぬレース戸が新調された。旧家の逸品を利用した瀟洒なそれは、単なる網戸以上の価値を窓辺に齎した。廃棄予定の品が更なる実用性を加えて蘇ったのである。これで無事我が家の夏支度が終った。いつもなら不快極まる虫達であるが、今日ばかりは、その飛来が心待ちに思われるのであった。